「コミュ力」というコトバをあちことで聞いたことがあるでしょうか?「あの人、コミュ力が高いから、何やってもうまくいく」とか「コミュ力低いから、馴染めない」とか言うようです。今や、コミュニケーション能力というのは、あると万能の用に語られることもありますし、実際に会社の採用試験では、他のスキルがなくてもこの能力が最も重要な評価基準として、採用しているところもあるそうです。理由は、「ITスキルなんかは勉強すれば身に付けられるし、それほどコストはかからないけど、コミュニケーション能力を育てようとすると、多くの時間と手間(=コスト)がかかるから。」だそうです。これほど、スキルが細分化され、コミュニケーションのためのツールが発展した世の中であっても、コミュニケーション能力というものは、大人になってからでは身に付けるのに苦労する能力だということのようです。
加えて、どれだけ自動翻訳などの技術上がっても、英語を含めた外国語能力の重要性が上がっています。日本人の数は急速に減っていく一方で、英語、中国語、スペイン語話者とコミュニケーションをしていくことが、これからの社会を生き残るために重要なこととされているからです。これから10年、日本社会は大きく変化していくだろうし、日本語だけで生きるというのは、可能性を狭めることになってしまうかもしれません。
といった社会の変化は色々あるとしても、結論から言うと、外国語でコミュニケーションを取ることは、自分の知らない外の世界やその価値観や発見をできることだと思います。
外国語を話して外国での旅行を楽しんだり、仕事をしたり、生活してみたりといったこともありますが、現実世界の他にも、多くの個人同士がオンライン上で繋がり、様々なコミュニティが生まれ、そこで新しい課題解決をもたらしてくれるビジネスが生まれています。住んでいる場所や距離に関係なく、相手の顔を見ながら、ある意味自然な状態での口頭によるコミュニケーションが実現されており、子供が知らない外国人と英語で、オンラインゲームをやっていることも。
コミュニケーションインフラが整い、移動せずとも、いつでも誰とても話ができる世界で、コミュニケーションのスピードが上がり、量も増え、それができることがスタンダードになっています。自動翻訳や通訳を介して話をすることも可能ですが、会話のリズムが悪く楽しくはありません。直接話しができて、自分で解釈・理解するプロセスは楽しいものだし、人間の本来持つ欲求を満たされる感じがします。
リアルな世界では、行ったこともない国の本を読んだり、映画を見たり、音楽を楽しんだり、映画を見たり、YouTubeを見たりなど、人生を豊かにしてくれる文化やエンターテイメントを楽しむこともできます。翻訳を通じてももちろん楽しめますが、やはり言語には文化的な側面も含まれているので、オリジナルのものをそのまま理解できたほうがより楽しいかと思います。外国語には、仕事や生活をするためのスキルという面もある一方で、旅行や日常生活、オンラインなどで色んな人と話をし、多様な人や文化、エンターテイメントに触れる楽しみを実現してくれるものでもあり、人生を豊かにし考え方や選択の幅を広げられるといった可能性を持っていると思います。
日本に目を向けると、日本の人口減が2021年は65万人となって、本格的なパイの縮小段階に入りました。国内だけを見ていても、今後の大企業の業績は下がる一方なのは明らかです。反対に日本人にとっては当たり前の様に広がっている豊かな自然、歴史ある文化や街並み、今も残る里山、美術、安くて質の良いモノやサービスが溢れていて、しかも犯罪率の非常に低い安全な国です。外国の人にとっては、これらはとても価値の高いものであり、旅行に来られる方が非常に多くなって行きます。気に入ればそのまま移住してビジネスをするという人もいて、スキーリゾートのある北海道や長野はそういう方々が非常に多いですね。人の流れが多ければ、外国資本もどんどん増えます。そういった人がお客さんとなって会話を楽しむ、そういった人と仕事をする機会も増えていくことでしょう。これができないと、これからの数十年の間に会話が通じない人がどんどん周囲に増えてきて選択肢が減って、生きにくくなるかもしれません。言い換えれば、外国語を学ばないことが意味するのは、コミュニケーションや価値の交換や共有ができず、可能性を狭める選択をするということになるでしょう。
なぜ、外国語を学ぶのか?に対する答えは、やっぱり自分の知らない物を自分の体で見聞きするのは楽しいし、自分の中で多様性に対するキャパシティが広がっていくことを感じれるからでしょう。YouTubeや自宅からできるオンラインレッスンが外国語学習のハードルをかなり低くしました。また読書と同じように、少しの時間とお金の投資と継続があればできるので、多くのお金や、特殊な才能、抜群の身体能力などは必要ありません。音楽や絵と同じように、いつでもできるし、生涯にわたって楽しめる学習です。
外国語を学ぶことは、歳を重ねながらも学び、人と交流し、知らない世界を探究し続けていける側面があるのかなぁ、と思います。
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